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各店のよもやま話

各店のよもやま話

◆残したい味、伝えたい技◆

 当店の創業は文久2年(1862)。佃島の漁師が小魚などを塩煮にしているのにヒントを得、当時普及し始めた醤油で煮込んで「佃煮」として売り出したと伝えられていますが、定かなことはわかりません。
 ただ、屋号の由来が初代の通称「鮒屋佐吉」から転じたことからも、創業当初からフナが看板商品であったことは確かです。小ブナを細い角串に刺して焼き、味つけした「鮒すゞめ焼」は、今日まで続く当店の名物。その肝心の名物が、今ちょっと大変なのです。
 第一は魚の入手。すゞめ焼にはフナだけでなくタナゴやハヤなども使うのですが、こうした魚の棲む美しい環境が年々狭まり、仕入れられるいい魚が大変稀少になってきたことです。
 第二は、魚を串に刺す人の確保です。魚が獲れるかどうかは、いわば天の采配。つまりは、それを待つゆとりが必要なのですが、その人たちの後継が案じられているのです。
 年末から始まる寒の時期が「鮒すゞめ焼」のシーズン。創業以来の名物を品質を落とすことなく守り続けるために、この冬も伝統の漁業と伝来の職人技が磨かれていきます。
 21世紀にも営々と伝えていきたい江戸の味。名物の陰には、それを支えている貴重な自然と、技を伝え続けてくれている人々がいるのです。





佃煮
日本橋 鮒佐
●中央区日本橋室町1-12-13
●03(3270)2731


◆「羊」「羹」の話◆

羊羹の”羹“の字は単独では「あつもの」と読みます。そして、中国ではスープのことをさします。「羹にこりて膾を吹く」ということわざがありますが、これも熱い汁で舌をやけどしたので、膾のような冷たい料理までフウフウ吹いて冷ます、つまりは無益な用心を笑うものです。
 では、なぜお菓子の羊羹が「羊の汁」という意味の字なのでしょう。 これは、日本に羊羹を伝えた禅僧たちが、羊肉(または羊の肝)の代わりに小豆や小麦粉などを蒸し固めるなどして似た形、似た色の精進料理を作り、それがやがてお菓子としても供されるようになったという解釈です。
 実際、16世紀に書かれた史料に登場する羊羹は「箸で割って食べ、汁も飲む」と書かれていますから、この頃までは本来の”羊羹“の形態を留めるものがあったようです。
 紀元前に記された中国の『史記』には、戦を前に羊羹を作り配ったところ御者に行き渡らず、怒った御者が将軍を乗せたまま敵陣に走り、羊羹一つで戦に負けた逸話も残っています。さて、それほどのご馳走だった”羊羹“とは、どんな食べ物だったのでしょう。ちょっと味見してみたい気がしませんか?




御菓子司
とらや
●港区赤坂4-9-22
●0120(45)4121
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