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各店のよもやま話

各店のよもやま話

◆梅ぼ志飴、訴えられる!!◆

 砂糖は奈良時代に渡来して以来、明治になるまで、そのほとんどが中国からの輸入品でした。したがって、江戸時代でも砂糖は贅沢で貴重な食べ物でした。職人の日収が300〜400文だった江戸後期、砂糖1斤(約600 g)が200〜300文だったというのですから、事実、高級品です。当店の初代が屋台から店を興したのは、そんな時代でした。
 ところで、その初代が作った菓子の一つ「梅ぼ志飴」のことで、消費者センターに呼び出されたことがあります。梅干が入っていないのに「梅ぼ志飴」とは標示違反ではないかという消費者 からのクレームがあったというのです。
 この飴は、当初、棒状に伸ばした飴をハサミで切り、その切り口を指でつまんで整形していました。そのため、形が皺のよった三角形になり、色づけも貴重な紅花を使って赤に染めていたので形や色の似た梅干の名を付けたのです。さらに、甘い菓子に酸っぱいものの名前をあてたところに江戸っ子のユーモアと機知もあったはず。第一、それをおっしゃるなら、「“柿の種”には柿が、“きつねうどん” には狐が入っていませんけれど」 担当者も苦笑いから大笑いとなり、無事、無罪放免。しかし、もはや江戸っ子のエスプリが通じない時代になってきたということでしょうか。





梅ぼ志飴
●榮太樓總本鋪
●中央区日本橋1‐2‐5
●03(3271)7781


◆粋、野暮、生野暮◆

 江戸を語るときに「粋」という言葉がよく使われます。江戸とはいっても、「粋」が誕生したのは江戸も中期以降のこと。それ以前、たとえば元禄時代は豪華で派手なことがはやりでした。
  ところが、粋という美意識が確立するや、たとえば美人の条件にしても、豊麗な丸顔から柳腰の細面へとがらりと変わってしまいます。厚化粧よりも薄化粧、冬でも裸足できりりと歩き、着物の柄も大胆な絵模様から縞柄のようなすっきりした幾何学模様になったといいます。近年はやった厚底ブーツにガングロ化粧の少女は、元禄時代ならともかく、それ以後のお江戸では「不粋」「野暮」と言われたことでしょう。  ちなみに、鰻の蒲焼の食べ方でいうなら、初めから山椒を振りかけてしまうのは野暮。山椒を皿の端にでも取り分け、つけながら食べるのが粋な食べ方といったところでしょうか。
 ところで、その「野暮」ですが、どなたか「生野暮」という言葉をご存知ではありませんか?人をけなす言葉なのか、それとも野暮ではあってもどこか可愛げがあるという愛情を含んだ言葉なのか。どこかで聞いたこの言葉が、ずっと気になっているのです。




鰻蒲焼
●明神下 神田川本店
●千代田区外神田2−5−11
●03(3251)5031
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