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各店のよもやま話

各店のよもやま話

◆芥川竜之介の意外な顔◆

 芥川竜之介といえば、いうまでもなく著名な小説家ですが、東京は両国育ちだったことはご存知ですか?
 芥川は明治25年に京橋区入船町(現在の中央区明石町)で生まれましたが、まもなく実母が発狂したため本所区小泉町(現在の墨田区両国)の母方の実家に預けられて育ちました。学歴を追うと、江東尋常小学校(現在の両国小学校)、同高等科、府立第三中学校(現在の都立両国高校)、一高、東大と進んでいます。
 ところで、芥川と当店とのお付き合いは、売れっ子作家になってからではなく、それよりもずっと前、父の話によると府立三中時代からだそうです。
 芥川少年は、体育の授業で校外ランニングがあると、決まって当店に立ち寄り、当時”一と盆十銭“だったくず餅を急いで食べ、また走って戻っていったというのです。そのあと、よほどのスピードで追いかけたのでしょうか。隊列にはうまく戻れたようですが、時々口のまわりにきな粉がついていて、よく先生に叱られたそうです。   今、書籍などで目にする芥川竜之介の写真は、神経質そうな顔をしていますが、少年時代はおちゃめなところもある子供だったのでしょう。それを思うと、35歳の若さで自ら命をたったことが、いよいよ残念でなりません。





くず餅
●亀戸 船橋屋
●江東区亀戸3-2-14
●03(3681)2784


◆そばの色は白? 黒?◆

 そばの色が黒いから、そば粉の割合が多いと思っておられるかたが、意外にたくさんいらっしゃいます。実際、黒っぽいそばには昔風、田舎風の素朴な雰囲気があって、そばの実がたっぷり使われているように感じられます。しかし、そばの実の使用割合とそばの色はあまり関係がないのです。
 そばが一般に食べられるようになった江戸時代初期、そばの色は黒く、舌ざわりもボソボソとしていました。これはそば粉にそば殻や甘皮が多く混じっていたためで、また、そのせいで生地に弾力が持たせられず、麺を長く伸ばすことができませんでした。
 しかし、その後、製粉技術が進歩して、そば殻や甘皮が混じらないそば粉が挽けるようになると、そばの色は白くなり、喉越しの良いそばができるようになりました。  ところで、どのくらいそば殻や甘皮が入ると、黒いそばになるのでしょう。実は、そば殻などの混じった黒いそば粉2割に小麦粉8割を合わせてそばを打つと、真っ黒いそばができ上がるのです。黒いそば粉を風味のために入れているのか、それとも見せかけで入れているのか……。その白黒をつけるの は、お客様の舌というわけです。




そば
●総本家 更科堀井
●港区元麻布3-11-4
●03(3403)3401
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