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- 『智恵子への手土産』&『けんか相手は「天日干し」名人』
◆智恵子への手土産◆ 川魚問屋から鰻料理の店に転じて200年余。当店は隅田川のほとり、文字通り「前に川」を見る場所で商いを続けてまいりました。その間、数多くのお客様にご贔屓をいただいてきたのですが、私が最も胸を打たれたのが父から聞いた高村光太郎の話です。 高村光太郎は彫刻家であり詩人ですが、彼を有名にしているのは何といっても『智恵子抄』でしょう。光太郎が新進の画家であった智恵子と結婚したのは31歳の時。しかし、智恵子は次第に、心の病に犯されていきます。 光太郎といえば『智恵子抄』のイメージから繊細な印象がありますが、実は177cmはあったろうという長身の大男。 健啖家で、当店でも旺盛な食欲をみせたようです。そして帰りがけには必ずお土産を注文されました。それも、蒲焼だけではなく、「妻のために」と、必ず鰻の肝も。 〈智恵子は東京には空が無いといふほんとの空が見たいといふ〉 鰻の肝の持つパワーを、日々弱っていく妻に与えたかったのでしょうか。智恵子が亡くなってから、光太郎の食生活は自然食が主になっていったと聞いております。
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◆けんか相手は「天日干し」名人◆ 慶応元年の創業以来、当店は豆菓子の店として暖簾を掲げてまいりました。現在、店に並ぶ豆菓子は、およそ55種類。いずれおとらぬ人気商品と自負しています。しかし、当店の売上げナンバーワン商品はというと、実は店内で実演販売している「塩おかき」なのです。 塩おかきは、餅をつき、薄く切って、いわゆるかき餅を作り、それを揚げて塩をふった商品です。どこにでもありそうで、どこにもない味。その秘密は、材料の吟味から最後の揚げ方までの工程のなかにいくつも隠れているのですが、その一つが、かき餅を「天日干し」で仕上げていることです。 この“かき餅”の製造を先代の頃から仕切っていたのが、向山さんでした。「お日様や風の様子をみながら、餅に残る水分を調整する。これこそが塩おかきの“うまさ”を決めるんだ!」というのが彼の持論。一方、科学万能の時代に生まれた私は、「水分の調整なら、職人の勘にたよらず、科学的な根拠に基づいて、なんらかの機械を使用した方が正確ではないか……」説。 かくして、会うたびに喧嘩です。父が大学時代に急逝して、血気盛んな頃、突然経営者になり、一人あせっている時期でもありました。 「向山さんの仕事など、自分なら3カ月も見ていれば覚えられる」。そんな啖呵をきって作業場に乗り込んだこともありました。結果はいうまでもありません。使えない“かき餅”が山のようにできて、私の惨敗。 ここ数年、若い職人に仕事を任せていた“天日干しの名人”は、この春、逝きました。私が、職人の手が生み出す仕事の素晴らしさや凄さを、やっと本当の意味でわかってきた矢先のことです。「単純なものほど奥が深い」。塩おかきの味について真剣に話しあった日々が懐かしく、なによりいい喧嘩相手をなくしたことが残念でなりません。
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