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- 『鍋にダムあり』&『達人の仕事』
◆鍋にダムあり◆ 厚く切った合鴨の胸肉を、備長炭で熱した鉄鍋で焼きながら、おろし醤油で食べていただく――当店のメニューは、明治5年創業当時からこれ一品だけです。材料も当初のままですし、座敷で出すおもてなしの形も同じ、そして合鴨を焼く鉄鍋も、初代が考えたままの形が現在でも使われています。 この鉄鍋ですが、かなりの厚みがあり、さらに特徴的なのは底の一部が深く掘り下げられていることです。ちょうど縦半分に切った卵がすっぽり入るくらいの大きさで、私たちはこの穴を「ダム」と呼んでいます。合鴨から出た余分な脂がここに落ちる、いわば脂受けのダム。 これがあることで、合鴨はべたつくことなく実にほどよく焼き上がるのです。さらに、おまけもあって、椎茸などを入れておくと、たまった脂が揚げてくれる、小さな揚げ鍋にもなるのです。 作り変えるたびに歴代の当主がこの鍋にさらに工夫はできないかと考えるわけですが、結局は創業以来のこの鍋を超えることができずにいます。手前味噌ながら、ほんとによくできた形なのです。 それにしても、この鉄鍋、初代が一人で知恵を絞ったものなのか、それとも食通のお客様にでもアイデアをいただきながら仕上げていったものなのか……。確かなことは歴史の霧の中です。
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◆達人の仕事◆ 当店の座敷席は、正面から鉤型に曲がる露地を巡った先に、ひっそりと玄関を設けております。近年、通りに面した一画は建てかえましたが、店の奥半分は関東大震災後の大正13年〜14年に建造したもの。2代目がお茶人のご指導をいただきながら建てたもので、私どもも自然の古色を加えてきたこの家屋をなんとか保っていきたいと思っております。そこで、たくさんの職人さんたちに長年、お世話になってきました。 経師屋さんは風間さん、漆塗りは笠原さん。大工さんは市川さんといって、この人は将棋も上手でした。同じく将棋好きの父の姿が見えない時は、たいてい市川さんの仕事場で、将棋板をにらんでいたものです。 畳屋さんは梶川さん。畳の表替えをお願いした畳屋さんが「すごい仕事をしていますね」と思わずうなった腕の持ち主です。今も仕事を続けてくれていますが、大正15年生まれのご高齢とあって、現在は露地の最奥にある茶室だけを担当。「これが生きがい」と言ってくれています。 そうそう、職人さんの話ばかりになって、肝心の鰻の話を忘れておりました。鰻は夏が旬のように言われておりますが、うまく選べば、1年中おいしく食べられる栄養豊かな魚です。達人たちの仕事が残る座敷で、ゆっくりとお召し上がりいただければ幸いでございます。
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