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老舗の知恵袋

江戸の歳時記
◆4月 桜・お花見◆
・放火はやめて、花見をしよう

 奈良の吉野山の桜、京都の醍醐寺の桜など、日本には古くからの桜の名所がありますが、江戸時代以前のお花見は、上流社会だけに許された文化でした。
 花見が庶民の楽しみとして盛んになったのは、江戸時代、それも元禄の頃からです。江戸の桜のもとは、そのほとんどが吉野山から移植したもので、参勤交代が桜の品種交流の場ともなっていたようです。その桜が育ち、さらに品種改良なども進んで桜の本数が増えた頃から、長屋住まいの住民たちも花見を楽しむようになったのです。
 特に、庶民の花見を奨励したのが、徳川吉宗でした。吉宗は、放火が絶えぬ世相を見て、人心を安定させるためには庶民が日頃のうっぷんを発散できる娯楽が必要と考え、花見を選んだと言われています。王子の飛鳥山も、吉宗が整備させたもの。小金井の玉川上水沿いの道は、家光から吉宗の時代まで植え続けられたものが6kmにも及んで、江戸っ子は1泊の花見旅を楽しんだようです。
 町なかの桜の並木道としては、寛永寺を創建した天海僧正らが植えた上野の桜が有名で、特に早咲きの彼岸桜が喜ばれたといいます。また、向島の桜は、寛永年間(1624〜44)に徳川家綱が植えたものを吉宗が増やしたもので、江戸一番の賑いをみせました。

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提重:呂色四段銘々盆 変り塗
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食篭:呂色錫縁色紙蒔絵
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満開の桜
↑クリックすると大きな画像をご覧いただけます 【写真:黒江屋】

・八っつぁん、熊さんのお花見

 お花見は、お金持ちにとっても貧乏人にとっても、待ちに待った春の楽しみでした。
 豪商たちは、漆塗りに金箔をほどこした絢爛豪華なお弁当箱をしつらえ、料理にも趣向を凝らしてグルメを満喫。自慢の小袖などをこれ見よがしに幔幕(まんまく)にかけたりして、その豪勢な宴を楽しみました。江戸後期になると常磐津の師匠が数百人もの弟子を連れて花見をするという「生徒募集」を兼ねた一大デモンストレーションのお花見もあったそうです。
 一方、長屋の住民たちのお花見はというと、「お酒代わりに番茶」を、「卵焼き代わりにたくわん」を持って向島へ繰り込んだという落語『長屋の花見』が有名ですが、もちろん庶民もそれなりに精一杯のご馳走を作り、着飾って出かけたことでしょう。念入りにお化粧をする女性たちをからかった、こんな川柳もあります。

「白壁を両の手でぬる花の朝」

 最後に、芭蕉の高弟だった宝井其角の俳句をご紹介しましょう。
「酒を妻 妻を妾の 花見かな」

 桜の花が咲きこぼれる空の下、夫婦仲むつまじい、江戸の春の情景です。

提重:研出し唐草蒔絵(左)
食篭:葵菱平蒔絵(右)

【写真:黒江屋】

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