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江戸・東京散歩

<第9回 赤坂・麻布>
案内人は江戸っ子「みよちゃん」どうぞよろしく! みよちゃん
現在の赤坂は、大繁華街にして政界の奥座敷。でも、江戸時代はヒッソリとした場所でした。賑やかになってきたのは明治中期あたりからで、本格的に花柳界が栄えていったのは昭和になってからのことです。
一方、各国の大使館が点在する高級住宅地として知られる麻布の台地も、江戸時代中期までは荒野でした。麻布十番界隈が発展を始めたのは、幕府が古川の改修工事をして水運が開けたことや、享保14年(1729)に芝にあった馬場がここに移されたことなどがきっかけのようです。
では、赤坂・麻布散歩に出発! 日々変貌をとげる都会のなかに、江戸が息づいていますよ。

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■豊川稲荷

江戸時代の江戸は稲荷信仰が盛んで、町内ごとにお稲荷さんがあるのはもちろん、大きな武家屋敷などにもお稲荷さんが鎮座しているのが普通でした。
青山通り沿いにある豊川稲荷もその一つで、もとは名奉行として知られる大岡越前守の領地内に建てられたもの。文政11年(1828)に、現在地の向い側にあった別邸内に愛知県豊川市の「三州本山豊川稲荷」を分祀したのが始まりです。その後、明治20年に、その場所に赤坂小学校(現在は場所が移転しました)が建てられることになり、神社だけが今の場所に移転してきました。
 赤坂見附から歩いても5分ほど。しかも青山通りに面していながら、境内には緑も多く、落ち着いた雰囲気。祭日以外は、参拝者が手を合わせて、静かにお参りをしています。
 正式名は「赤坂豊川稲荷別院」。西側の入口には茶店なども並んでいます。

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赤坂見附側から入る、東側の門。石標と石段が風情たっぷり。 境内には鮮やかな紅白の千本のぼりが林立し、本堂前にはお狐様の像。いかにもお稲荷さんらしい雰囲気です。

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■弁慶橋と紀尾井坂
 地下鉄の赤坂見附駅からホテルニューオータニや赤坂プリンスホテル側へ行くときに、濠(ほり)をまたぎますね。その濠の上にかかっているのが、弁慶橋です。
弁慶橋は明治22年にかけられたもので、橋の名は、弁慶小左衛門という橋の設計者の苗字をとったのだとか。あの、武蔵坊弁慶じゃないので間違えないようにね。
橋を渡ると、左手には「弁慶掘遊歩道」の案内板。この地は、加藤清正→井伊家→伏見宮家→ホテルニューオータニと所有者が変わったんですが、その一部、濠沿いの道が遊歩道となって一般に解放されているのです。一方、橋を渡ったすぐ右手には、「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」の石碑があります。
 ちなみに、橋の先に延びる道の名を「紀尾井坂」、このあたり一帯を「紀尾井町」というのは、江戸時代、この地にあった紀伊徳川家上屋敷、尾張徳川家の上屋敷、井伊掃部頭(かもんのかみ)中屋敷の、「紀」「尾」「井」という3つの頭文字を合わせた命名なんです。ご存知でしたか?

写真 弁慶橋のたもとにはボートハウスもあって、ボートのレンタルができます。
桜や紅葉の季節は、最高のデートになりそう。

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■清水谷公園
 ホテルニューオータニの前を西に歩いていくと、ホテルの向い側に、思いがけないほどたくさんの緑が現れてビックリ。清水谷公園です。
 江戸時代、ここは井伊家と紀伊家の屋敷境となっていた谷で、紀伊家の屋敷内に湧水があったことから「清水谷」と呼ばれていました。公園は、その名前をとったものです。
 また、公園のある場所は、もともとは明治11年(1878)に紀尾井坂で暗殺された大久保利通公の追悼碑が建てられていたところで、敷地一帯が東京市に寄贈されたのを受けて開園されたもの。というわけで、公園の中央に、大久保利通を哀悼する、巨大な石碑が建っています。
 清水谷公園は、それほど大きな面積をもつ公園ではありませんが、緑と池を配したすがすがしいエリア。園内には江戸時代の水道に使われていた玉川上水石枡なども展示されているので、お見逃しなく。

写真 まさしく都会のオアシス。公園向いにあるカフェ(外国人率、高し!)から緑を眺めるのも一興。

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■日枝神社と「猿」
 日枝神社は言うまでもなく、徳川家の産土神様。6月10〜16日に江戸天下祭の一つ「山王まつり」を執り行うお社としても知られています。「山王まつり」については、【江戸の歳時記の6月】を参考にしていただく・・・ということで、今日は、日枝神社の神様のお使いである「猿」についてのお話を。
 日枝神社のおまいりで、神門や社殿の左右に「猿」が置かれているのに気がつきましたか? このお猿さんが、実は、神使「御神猿」なんです。
 御神猿は、古くから魔が去る――「まさる」――と呼ばれて、厄除・魔除の信仰を受け、さらに農業の守護神、繁殖・安産の神様としても信仰されてきました。また、猿が集団生活をすることや、特に子供への愛情が強いことから、夫婦円満・安産・家門繁栄にも結びつくと考えられたようです。さらに、この神社の御祭神である大山咋神は、山を主宰(うしは)き給う神徳を持った神様なので、猿と比叡の山の神の信仰とが結びついて山王の神使「御神猿」が信仰されるようになったとも伝えられています。
 社殿にお参りしたら、左右の御神猿さまにも手を合わせるのをお忘れなく。神猿(まさる)の守土鈴や縁(猿)結びのお守りをいただいて帰ると、一層ご利益があるかもしれませんね。

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日枝神社社殿。御祭神は大山咋神(おおやまくひのかみ)。家系図のように考えると、スサノオノミコトのお孫さんに当たる神様です。

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■六本木ヒルズ
 六本木から麻布にかけての風景を一変させた六本木ヒルズ。各施設の紹介はほかのガイドブックやサイトにお任せして、ここでは、この地の始まりをご紹介しましょう。
 この地の歴史は、約350年前の慶安3年(1650)に、毛利元就の孫・秀元が甲斐守となった折、麻布日ヶ窪(現在の六本木6丁目)に上屋敷を建てたのが始まりです。現在の「毛利庭園」も、この屋敷に付随する大名庭園として造られたのです。
 この日ヶ窪屋敷は、討ち入り後の赤穂浪士10人がお預けになり、ここで切腹したというエピソードや、幼い頃の乃木希典(明治時代の陸軍大将)が過ごしたというエピソードなど、その後の歴史もなかなかドラマティック。江戸から明治にかけて、このあたりでさまざまなドラマが繰り広げられたんですね。
 さて、江戸も終わり頃の元治2年(1865)、毛利屋敷は堀田相模守の拝領地となり、明治20年(1887)には増島六一郎(中央大学の創始者)の自邸に。さらに、昭和27年にはニッカウヰスキーの東京工場となり、昭和52年にはテレビ朝日……と次々に持ち主が変わりました。
 一帯が「六本木ヒルズ」としてオープンしたのは平成15年4月。もうすっかり、東京名所になりましたね。

写真 六本木ヒルズの森タワー。展望台や美術館をはじめ、楽しい施設がいっぱい。ショッピングやグルメを楽しんだあとは、毛利庭園の散歩も楽しんでくださいね。

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■麻布十番温泉
 六本木ヒルズから坂をくだって麻布十番商店街に入り、しばらく歩くと左手に見えてくるのが「麻布十番温泉」です。
 東京は意外にも温泉が多いのですが、その多くが黒湯と呼ばれる黒褐色の重曹泉で、ここ麻布十番温泉もその一つ。湯が黒い原因は、温泉に含まれる有機物によるもので、初めて見た人は、きっとびっくりしますよ。でも、肩こりや冷え性にとってもよく効くそうです。
 麻布十番温泉は、1階は「越の湯」という普通の銭湯で、3階が宴会場・休憩室を備えた、いわゆる日帰り温泉施設になっています。私が行ったのは、その3階の方。
 浴室は、思ったよりも小ぢんまりした印象。浴槽を覗き込んでも、ステップが見えないくらい真っ黒なお湯が張られているので、ごわごわ足をのばして、底を探りながら入浴。
コーラ色にはビックリしますが、香りは少なく、肌がツルツルっとするお湯です。
 ところが、結構、温度が高いので、長湯は禁物。きっと、熱いお湯が好きな「江戸っ子」の好みの温度にしてあるんですね。源泉は24度の冷鉱泉で、地下500mから汲み上げているという説明板がありました。
 休憩室・宴会場には舞台もあって、私が訪れたときはグループがビールを飲みながらカラオケを楽しんでいました。下町の社交場といった感じで、とってもいい雰囲気。時折、寄席などのイベントも催されるそうですよ。
 営業時間は15時〜23時。定休日は火曜日です。
●麻布十番温泉 電話03(3404)2610…3階。(3401)8324…1階。

写真 1階は銭湯、3階が設備の整った日帰り温泉施設。さて、どちらへ行きますか?

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