・江戸時代の三社祭
現在は5月の中旬に行われている三社祭ですが、かつては3月17・18日の2日間行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥の年が本祭でした。祭りの日程の変更は2度行われ、まず明治5年に新暦に合わせて5月17・18日に、昭和38年からは両日に近い金・土・日曜に行われるようになりました。
江戸時代の三社祭は、大祭前夜に神輿を観音本堂の外陣に安置するなど、浅草寺と浅草神社が一体になったお祭りで、観音祭とか、浅草祭とも呼ばれていました。
氏子は観音様の縁日にちなみ十八ヶ町。このうち材木・花川戸・聖天を宮元三ヶ町と呼び、すべてを総称して浅草郷とも千束郷ともいいました。
祭礼は現在のような神輿かつぎが中心ではなく山車(だし)が中心で、十八ヶ町のほか蔵前筋や浅草橋の各町も山車を繰り出し、行列の勢いと絢爛さを競いあったようです。
また、当時は祭礼行列が終わると「お堂下げ」といって神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場までかつぎ、大森在住の漁師の供奉する船に乗せて浅草川(隅田川)を遡り、駒形で上陸して再び本堂までかつぎ帰りました。この船祭りは江戸末期まで続きましたが、明治になって廃絶しました。 |