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老舗の知恵袋

江戸の歳時記
◆12月 羽子板市 2◆
・スターの似顔を求めて羽子板市へ殺到

 江戸も中期を過ぎて町人文化の成熟期を迎えると、羽子板は庶民の、それも下町の町家の女性たちが好むものになっていきました。錦絵が流行すると、これを切り抜いて板に貼った絵貼り羽子板が登場。そして江戸後期になると、現在の羽子板の主流でもある華やかな押絵羽子板が登場して、羽子板は全盛時代を迎えます。

 押絵というのは、厚紙を芯に布に綿を含ませてくるみ、これをレリーフのように組み合わせる技法で、古来から続いてきた手芸です。この技法で歌舞伎役者を描いたものが出たのですから、町娘たちは大騒ぎ。錦絵だけで眺めていた俳優たちが、歌舞伎の衣装に似せた豪華な着物をまとって羽子板に描かれ、それを胸に抱けるわけですから、人気が出るはずです。

 特に明治中期、九代目市川団十郎・五代目尾上菊五郎・初代市川左団次が揃った、いわゆる“団菊左”の全盛期には、贔屓の役者の羽子板を買い求める女性たちで、浅草の羽子板市はたいへんな賑いとなりました。羽子板が売れるということは、その役者の人気が高いという何よりの証明。役者のなかには、押絵師にコネクションをつけて、自分のものをたくさん作ってもらうように画策した人もあるようですよ。

九世市川団十郎「暫(しばらく)」鎌倉権五郎景政。明治28年11月、団十郎が「一世一代」と銘打って「暫」を演じた。羽子板は大和屋吟光の作で、高さ60cm。【吉徳これくしょん 所蔵】
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・羽根つきは、蚊にさされないためのおまじない?

 それにしても、なぜ、お正月に羽根つきをするのでしょう。
 羽子板は日本に渡って公家の間で楽しまれているうちに、いつしか悪を祓い、幸福を招く呪術性を持つようになりました。高貴な人への贈り物になったのもその証(あかし)ですし、正月十五日に行われている宮中の厄払いの行事「左義長」を羽子板の裏面に描いたことなどからも、古来、羽子板がなんらかの呪術性のあるものだったことがわかります。

 また、1544年に記された書物には「羽根つきは、子どもが蚊にさされないためのまじないである」と、あります。羽根が空を飛ぶ姿が、蚊を食べてくれるトンボに似ているところから、お正月に羽根つき遊びをして、蚊に刺されないまじないとする――当時は蚊の媒介する疾病は子どもの命取りにもなったのですから、こうした庶民のおまじないの風習を笑うわけにはいきません。
 ちなみに、羽根についている黒い玉は、本来、ムクロジという落葉高木の実が使われるのですが、これを漢字で書くと無患子(むくろじ)。まさしく「子が患(わずら)わない」という名前の木なのです。

 お正月、元気に羽根つきをする子どもを見ながら、その子の無事な成長を願う親の気持ちは、いまも昔も変わりませんね。

問合せ先:浅草寺 TEL03(3842)0181

京都で生まれた左義長羽子板の図柄は、地方に伝わって素朴な郷土羽子板になりました。また、その土地ならではのおめでたい図柄が考案されたものもあります。残念なことに、現在では、ごく一部が郷土玩具として珍重されているのみです。【吉徳これくしょん 所蔵】
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