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◆「鍵屋」と両国川開き◆ |
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万治2年(1659)、ちょうど大川(隅田川)に両国橋が架けられた年、大和の篠原村から弥兵衛という男が江戸に出てきました。火薬が扱えた弥兵衛は、葦のくだの中に火薬を練って入れた玩具花火を売り出して、たちまち大成功。弥兵衛の花火は、それまで売られていた線香花火やねずみ花火よりも大きな火が出るところがウケたのです。
その金をもとに、弥兵衛が両国横山町に出した店の屋号が「鍵屋」。打ち上げ花火につきものの掛け声「玉屋ぁ、鍵屋ぁ」で知られる、あの鍵屋の誕生です。
弥兵衛はその後も大型花火の実験を重ね、より大きく、より高く上がる花火の開発を続けました。58年後の享保2年(1717)には水神祭りの夜に献上花火の打ち上げにも成功。
これが、後に始まる両国の川開き花火の先鞭をつけることになりました。
ちなみに両国川開きとは、火事の多かった江戸の火除け地として造られた両国橋たもとの広小路や大川端に、旧暦の5月28日から8月28日の間、夜店や屋台の出店が許された納涼期間の初日。
大川端両岸に並ぶ船宿や料理茶屋が納涼船を大川に漕ぎ出して、お客をもてなすのも、この日からでした。いわば、お江戸の夏の始まりを告げる風物詩。
川開きに初めて花火が打ち上げられたのは、享保18年(1733)5月28日のことでした。 |
ちなみに両国川開きとは、火事の多かった江戸の火除け地として造られた両国橋たもとの広小路や大川端に、旧暦の5月28日から8月28日の間、夜店や屋台の出店が許された納涼期間の初日。
大川端両岸に並ぶ船宿や料理茶屋が納涼船を大川に漕ぎ出して、お客をもてなすのも、この日からでした。いわば、お江戸の夏の始まりを告げる風物詩。
川開きに初めて花火が打ち上げられたのは、享保18年(1733)5月28日のことでした。 |
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